「自分の義務を果たしなさい」  07.09.23
                     ローマ 13:1〜10
 私たちは、罪、死といった闇の支配下に置かれているのではありません。
 主イエスの下で生きる者です。私たちは、神さまの民と言うには程遠い
罪や汚れがありますが、主イエスの十字架によって罪を取り除かれ、
清められ、「あなたは私のものだ」と語りかけられながら生きるものと
されています。そんな恵みの主の支配の下で生きているにもかかわらず、
現実は別の力に支配されているように思えることがあります。
 聖書の時代で言えば、たとえクリスチャンであっても、ローマ帝国の
支配下に身を置いていました。私たちも、この世の支配する力を目にします。
 聖書は、上に立つ権威に従いなさいと言います。しかし、この勧めには、
素直に「はい」と言いにくい気持ちになります。この世の権威を持つ者が、
善を行う者を苦しめ、血を流してきた人間の歴史を知っているからです。
 では、その当時は、世の権威者を信頼できたのでしょうか。決して
そうではありません。パウロの周りには、権力者の勝手な政策でローマを
追い出された仲間がいました。パウロ自身、権威を振りかざす兵隊に
捕らえられて暴力を受けました。
 しかし聖書は、そのようなこの世の権威も、神に仕えているに過ぎないと
いう見方をします。この世の権力者を絶対的なものとしません。
 真の権威をお持ちの神さまを見据えているからです。その時、人は余裕と
ゆとりを手にします。そして、暴力を用いる宗教的過激派とは違い、善を行い、
人を愛する道を見出します。
 この勧めの前後で言われるのは、善を行うことや、愛することです。
 それとの関係で、この勧めは語られるのです。苛立ちや不満の心が
満ちている時には、愛する心を保てません。善を行うのも困難です。
 信仰の目をもって、真の支配者である神さまを見据え、
その愛の深さを見つめるのです。
 そこに、ゆとりが生まれ、愛する心が回復されていきます。
 信仰者は、主なる神さまが真に世を治めておられることに
目を注ぎながら、世に向き合うのです。